いよいよ1月9日から、源頼朝・北条義時を中心とした鎌倉幕府成立とその権力闘争を描く大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送開始されました。
鎌倉が本格的にドラマの舞台となるのは3月ごろからの予定だそうで、3月1日には鶴岡八幡宮境内の鎌倉文華館鶴岡ミュージアムにて、大河ドラマ館がオープンする予定です。
鎌倉彫の成り立ちを考える
さて、ここでちょっと鎌倉彫の発祥についてお話をしたいと思います。
1180年に源頼朝が鎌倉を拠点としてから、鎌倉は日本の中心たる都市へと発展していきます。これにともなって、鎌倉では神社や仏閣が多く建てられるようになりました。
ドラマの登場人物たちもそれぞれに寺社を建立しており、もっとも代表的なのが源頼朝による鶴岡八幡宮で、鎌倉時代から今に至るまで鎌倉の中心を成しています。
他にも以下の寺院が有名です。今後ドラマにも登場するかも知れませんね。
・永福寺(ようふくじ)
奥州合戦における源義経・藤原泰衡をはじめ数万の戦死者を鎮魂するために源頼朝が建立。残念ながら現存していませんが、跡地として整備されています。
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・寿福寺(じゅふくじ)
源頼朝の父、義朝の邸宅があった場所。頼朝の死後に妻の北条政子が、臨済宗の祖である栄西を迎えて建立。政子の供養塔もこの寺にあります。鎌倉五山第三位。
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・大蔵薬師堂(おおくらやくしどう)
北条義時が夢のお告げにより薬師如来像を安置するために建立。現在は覚園寺というお寺に変わっています。
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そしてこの時代には運慶をはじめとする仏像彫刻師たちが、数々の寺社に収める像を彫刻しました。鎌倉彫のルーツともいえる彫刻技術は、この頃に発展していったのです。
禅宗と鎌倉彫
さらに1200年代半ばになると、既成の仏教のほか、新興仏教として浄土宗をはじめとする念仏信仰、臨済宗や曹洞宗などの禅宗、法華経を第一とする日蓮宗などの教えが広まり、それに関連する多くの寺院が鎌倉に建設されました。
特に臨済宗は時の為政者である北条一門より多大な保護を受けており、有名な建長寺や円覚寺など臨済宗の鎌倉五山と呼ばれる寺院のうち、浄妙寺以外は北条一族が開基となって建立されています。
当時の中国である南宋からは、蘭渓道隆や無学祖元などの高僧が北条時頼・時宗らの招きに応じ、禅宗の文化を鎌倉にもたらしました。
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鎌倉時代に大きな影響を与えた禅宗文化の主なものとして、寺院の建築様式、漢詩文学、水墨画などがあげられ、茶の湯の文化の発祥もこの頃と言われています。
堆朱と呼ばれる彫刻を施した漆器も寺院の調度品としてもたらされました。当時の仏像彫刻の技術を生かしてこれらを真似たものを製作したのが、鎌倉彫の発祥とされています。
つまりは、源頼朝やその御家人たちの寺院建立にともなう仏像彫刻技術と、北条一門によってもたらされた南宋文化から、鎌倉彫が生まれたと言っても過言ではありません。
鎌倉彫山水堂との深いご縁も!
今回ブログを書くにあたって参考にした書籍の一つに、郷土史研究家 小池時一さん(故人)の『私が愛した頼朝さん』という著書があります。
実は小池さんは、当店山水堂の所在するビルの先代の大家さんでもありました。
この著書の中で小池さんは「鎌倉は先ず頼朝ありき」「頼朝さんは鎌倉の大恩人」と語られています。
鎌倉彫が生まれた時代を作り出したのが、源頼朝であり北条一族であるわけですから、小池さんの言葉にならえば、これら歴史の偉人たちは鎌倉彫の大恩人とも言えます。
ちなみにこの山水堂の所在地は、北条義時の弟で連署と呼ばれた執権の補佐役、北条時房の邸宅があった場所になります。
鎌倉彫のみならず山水堂の本店にも縁の深い北条一族なのでした。
春を迎えて暖かくなったら、鎌倉時代に思いを馳せながら歴史の跡を散策するのもお勧めです♪
鎌倉時代の権力者たちの群像劇から生まれた鎌倉彫にも触れ、ぜひとも当時から受け継がれる文化をその手で感じて下さい!
そして鎌倉に来られない遠方の方も、当店ホームページを通してぜひ鎌倉彫をご覧くださいませ!
北条氏の三つ鱗にちなんだ「8寸丸盆 鱗文」